[読書メモ] ガブリエル・ガルシア・マルケス「コレラの時代の愛」一夜目
1つの記事として読むことが可能な読書ログを書きたいとしばらく考えていました。
いわゆる書評ブログだと、一冊を読みきったあとで書かれることが多いのですが、最後まで読みきっていなくても、その過程も含めて記事にすることができると面白いですし、なにより何年もたってからもう一度その本について思い出す時に、印象の違いなどを自分で楽しむことができるというのが狙いです。
というわけで最初に選んだのはガブリエル・ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」です。マルケスは大好きなのに、この本は何度となく読み始めたものの、ペースを掴めずにいました。
コレラの時代の愛posted with amazlet at 13.06.06ガブリエル・ガルシア=マルケス
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今回はうまいことペースをつかめたようなので、とても楽しく読めています。
第1節あらすじ
ビター・アーモンドのような匂いがすると「この恋も報われなかったのか」とつい思ってしまうほどに現場をみてきた老齢の医師フベナル・ウルビーノ博士が、チェス仲間であり昨夜までいっしょだったジェレミア・ド・サン・タムールの自殺の一報をうけて早朝から彼の部屋にやってきたところから物語は始まります。
残されたチェス盤は、街で敵なしというほどに強かったジェレミアの白側があと四手でチェックメイトという窮地のまま放り出されており、手紙には博士が動揺する内容が書いてあったのですが、どんな細部も逃さないマルケスのペンはここで肝心の手紙の中身を明かさないまま、「博士の声の調子が少し変化した」とだけ触れて不安をかきたてます。
また、この時点で「不幸な恋」というキーワードが何回もでてきて、物語全体の基調を作っていきます。
部屋を退出したフベナル・ウルビーノ博士は手紙の内容を確かめるために奴隷地区へと向かい、ジェレミアの愛人の女性から最後のチェスの相手は彼女であったこと、彼女がジェレミアの自殺を手助けしていたことを知って衝撃を受けて帰宅します。
自宅では20年以上すみついていて、人並み以上に話すことができるオウムが籠から逃げてしまい、使用人たちが大騒ぎをしています。ここで、どうしてそのオウムが家にやってくることになったのかという挿話とともに、七十二歳になる博士の妻、フェルミーナ・ダーサが紹介されます。
三時間たってもオウムが捕まえられないので消防署が呼ばれ、博士は弟子の医学従事25周年の昼食会の支度をし、その間に博士と婦人の最大の夫婦げんかについての挿話が差し込まれます。
最初のページではきびきびとしていた博士ですが、嵐のせいで無茶苦茶になったパーティーの最中には物忘れが激しい、さまざまなことがおぼつかない老人としての側面が次第に強く描かれていきます。そしてシエスタのために昼食会を辞去し、眠りから覚めると博士はふと「これが人生で最後の午後だ」という奇妙な確信のために悲しみに襲われるのでした。
ふと気づくと消防署も捕まえられなかったオウムが近くの木の枝に戻って来ていることに気づいて博士は激高します。そして梯子をだしてオウムを捕まえようと登り、その首を掴んだ瞬間に梯子は倒れてしまいます。こうして苦しい息の下、かけつけた夫人が見つめるうちに、博士は息を引き取ります。
フベナル・ウルビーノ博士は地元をコレラから救った名士だったため、彼の死は大きな衝撃をもってうけとめられ、厳粛な葬儀がいとなまれます。
その葬儀のさなか、一人の老人が万事の取り込み事に対しててきぱきと指示し、再び現れたオウムを籠に放り込んで、他人の家のことなのに葬儀の時間まで決めていきます。
その老人、フロレンティーノ・アリーサは博士の埋葬後もういちど屋敷を訪れ、未亡人となったフェルミーナ・ダーサに対してこの時がくるのを待っていたこと、彼女に永遠の愛を誓いたいと告げます。
フロンレンティーノ・アリーサを追い出し、孤独なベッドの中で悲嘆に暮れるフェルミーナでしたが、そうしながらも彼のことを考えている自分に気がついてしまうというところで第一節は終わります。
舞台についてのメモ
ここまで筋を書いたとしてもガルシア・マルケスの小説を読む価値はほとんど減じません。というのも、筋よりも登場人物と舞台を支える膨大な挿話と描写を読むことにこの小説の喜びはあるからです。
そして登場していきなり死んでしまうフベナル・ウルビーノ博士ですが、この物語は常に時間が50年前から主要人物たちが老齢となった「今」の間を揺れ動きますので、登場人物から外れたわけではありません。
筆致はあくまでリアリズム的ですが、ラテン語やフランス語にも堪能なオウムや、莫大な財宝を抱えて沈没したガレオン船、街中を絶望で覆ったコレラの記憶、フェルミーナの動物好きでいったんは動物であふれた屋敷が狂犬病にかかった一匹の犬によって殺戮の場になる様子など、なんとも現実が過剰すぎてかえって神話的ですらあります。
さて、海外文学ではありがちなことですが、まったく挿絵も地図もなく、本作の場合は正確な港町の名前も出てこない場合、どういう画像を脳裏で結べばいいのかわからなくなってしまうことがあります。
コロンビアの場所さえおぼつかない私のような読者には肝心のカリブ海の雰囲気がなかなか伝わりません。そこで若干の調べ事もメモとして残しておきます。
小説中ではカリブ海沿岸の港町という以外には実際の名前が出てきませんが、舞台はガルシア・マルケスが若い時代をすごした南米コロンビアの港町カルタヘナと言われています(南スペインにも同名の街がありますが、こちらではありません)。
ぜひズームアウト・ズームインして、場所を確認してみてください。
気候は一年中温暖で、平均気温は1月から12月のすべての月で26-27度、最高気温32度から最低気温23度程度を推移する熱帯気候となっています。雨季と乾季があり、比較的雨の多い5-11月とまったく降らない12月から4月というサイクルがあります。
1節はペンテコステ(精霊降誕祭・五旬節)の日が舞台となりますが、これはイースターのあと、5月10日から6月13日の間のどこかの日曜日に祝われるので、雨季のはじまりの時期と重なります。
フベナル・ウルビーノ博士の邸宅の場所ですが、成金向けに作られたラ・マンガ地区の高級住宅街で湾の向こう側。しかも午睡でまどろんでいると行き交う船の煙が空気に混じってくるという描写があるのですが、現実には同名の地名がみつかりません。困った。
la manga というのは「袖」を意味していて、20世紀初頭まで開発がされていないという描写がありますので、現在ホテルが立ち並んでいて、湾に腕のように伸びているボカ・グランデ地区なのかもしれません。
一方で、カルタヘナの古地図には街の中心街から南に下ったManzanillo 島のあたりが isle la Manga という名前がついているのでこちらかもしれません。
フベナル・ウルビーノ博士が手紙に駆り立てられるようにして時代遅れの馬車で踏み込むのが「奴隷地区」となっていますが、現実のカルタヘナで対応するのはヘツェマニ(ゲッセマネのスペイン語読み)地区となっています。ここでいう奴隷とは、スペイン植民地時代にアフリカから連れて来られた奴隷たちのことを指していますが、作品の時点では奴隷制は終わっています。
ラシデス・オリベーリャ博士の昼食会が行われているのは市の中心から国道にそって車で10分の別荘ということになっていますが、これも国道は街の中心から北東と南東にのびているのでどちらかは確定できませんでした。
さて、何度も「コロニアル風」、つまりはスペイン統治時代の植民地時代風という意味の町並みの表現がでてきますが、Wikipedia によればこうした風景のようです。
もちろん本作の時代設定となっている1880-1930年からもう100年近いわけですが、きっとガルシア・マルケスが若い頃のイメージをより強くうけてのことだと思いますので、この写真のような風景で間違っていないのかもしれません。
主要登場人物の名前についてもここでみておきましょう。
フベナル・ウルビーノ博士の名前は Juvenal Urbino という綴りで、フベナルはラテン語読みだと「ユヴェナル」つまりユウェナリスにつながります。風刺詩集で知られ「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」というよく誤用される引用句で知られる人ですね。Urbino はイタリアの街の名前です。
フェルミーナ・ダーサのフェルミーナはスペイン語 firme の女性化したもので英語でいうと firm、つまりは「強い」という意味です。気の強い彼女の性格がすでに暗示されているわけですね。Daza という家族名はちょっとわかりませんでした。
フロレンティーノ・アリーサの名前は、どこか絵本ムーミンの「フローレン」を思い出しますが、もちろん「花咲く」という意味合いがあって伊達男にふさわしい名前です。少し女々しい名前ですが、本節の最後で登場した彼は優雅な物腰をした禿げた老人として描かれています。
本書を読む際に
「百年の孤独」や「族長の秋」などといったマルケス節の小説を読んでいる人ならば比較的楽に入れるとおもいますが、ここでは文体が19世紀的な写実的な描写に徹底しており、セリフはほとんど入りません。
もちろんマルケスですので、「何が起こったか」よりも、過剰な文体とその情報量のなかに南米コロンビアのむせるような雰囲気を感じ取るのが楽しい本です。
とはいえ、語られる内容は常に主人公たちが老齢を迎えている「今」から過去に踏み出したり、時には「死ぬまでそうだった」という具合に未来を先取りするなど油断がなりません。
湾に沈むガレオン船など、さらりとある場所にでてきた話題が別の節で拡大して語られることもありますので、こうした先取りや予兆を感じるのも楽しみ方になります。すでに一節には「不幸な恋」「コレラ」といったキーワードがあって以降の筋の予告をおこなっています。
本書には「一章」「二章」といった名前はついていないものの、約50ページを区切りとして筆が擱かれます。
なので、できればこの50ページを一気に読み通すだけの時間をもって読むのがいいでしょうし、そのくらいでなければ膨大な挿話や主人公たちの性格の機微がなかなかこちらに染みこんできません。
すでに登場人物が形の上では一人退場していますが、さてさて、次はどこへむかうのでしょうか?