聖なる場所を旅しよう。三徳山三仏寺・投入堂でわたしも考えた : 鳥取ブロガーツアーその4 #tottorip
鳥取ブロガーツアー、今回の旅のハイライトは三徳山(みとくさん)三仏寺、そして投入堂です。
投入堂は修験道の開祖である役小角が不思議な力で「投げ入れ」て立てられたという伝説があるほど、奥深い山の崖の下という実に危険な場所に立てられています。
その姿を目にするには、岩をよじ登り、木の根を頼りに荒々しい道を登る必要があります。ここは普通の意味の観光地ではありません。修験道の修行の道なのです。
その苦労の道中と、その先にみた投入堂の姿についてリポートします。## 修験者として入山
投入堂への道のりは修験道の修行の道です。なので入山する人は形式上「修行者」としての装いをしなければいけません。
本道から投入堂への道のり。距離としてはそれほどありませんが、高低差はけっこうあります。
すべての人は入山時に靴底のチェックを行います。登山にむかない滑りやすい靴の場合は、わらじに履き替えなければいけません。
しかしこのわらじが案外履き心地がよく、好評でしたのであえてわらじで登るというのでもよいでしょう。
修行者として、六根清浄(ろっこんしょうじょう)のたすきをかけていきます。六根とは、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(心)の6つを指しており、人間の認識の根幹です。
これが汚れていると八正道(正しい考え、認識)を得ることができないので、修行者は山に入り、六根を清めるというわけです。
あの世とこの世を象徴的に分けている川を橋で越えるとそこはもう修行の道です。さっそく木の根や岩伝いの登山が始まります。
場所によっては木の根に体重を預けなければ崖を真っ逆さまという場所もあります。足腰がしっかりしていれば危険ではないものの、命を樹に預けるのはどこか自分が自分から離れてゆく感覚です。ああ、これが修行というわけなんですね。
途中に役小角の像がありました。よく見かける役小角像は錫杖をもっていますが、ここは杖と巻物。なんだか福福しい顔をしています。
ちょっと横道にそれますが、気になったので「役小角」で Google Map で検索してみると、ゆかりの寺や史跡が近畿を中心として南は九州、北は福島近辺まで広がっています。
もちろん学問的な調査ではないですが、こうしてみるだけで分布がみえて面白いですね。
山また山の修行の道
道もどんどん本格的になってきます。三徳山は修行の場ということで殺生をしてはいけない、木や花を切ってもいけないということから昔のままの多様性が残されているそうです。
見上げると深い森が覆いかぶさるようです。登山を久しぶりにするときはいつもそうですが、始まって数十分は嫌な汗がにじみ出てきます。しかしそれを過ぎると、急に体が軽くなって山が身近に感じられるようになってきます。これがたまりません。
険しい山道から見下ろす絶好のポイントには、必ず文殊堂などのお堂があります。
手すりもなにもない回廊に通していただくとそこは絶景の谷間。皆、足元を気をつけながら歩きます。
これらの堂はいまも宮大工によって整備されているそうですが、昔の工法にこだわり、今も槍鉋などによって板を削りだすといった手法を用いているそうです。
案内してくださった方によると、こうした堂の整備は30年に一度行われますが、それは宮大工の代替わりを考慮にいれたものだそうです。職人の生涯に一度、その堂の作り、材木の選び方、整備の仕方などを弟子に伝えてきたわけです。
文化庁などが新しい整備法などをすすめ、30年を40年、50年にしてもいいのではという施策を進めているそうですが、そうすると今度はどこの建物も同じ工法となってしまい、その土地の個性が失われるのではないかということでした。
登山も後半になると鎖場や、尾根の岩場を横切る場所もでてきます。しかし途中で85歳のお爺さんも登っていましたし、服装と足元に注意して油断をしなければ、誰でも登れるでしょう。
いよいよ、投入堂の手前に登場するのがこの鐘つき堂。800kgの鐘をどのようにしてここまで持ち上げたのか、皆目検討がつきません。
ついに投入堂へ
休み休み登っていましたので、登山開始から2時間ほどでようやく投入堂に到達しました。
断崖絶壁の崖の下、頭上からは水の滴がぽつりぽつりと垂れてくるなか、岩の大きな窪みに抱き込まれるようにして投入堂は建っていました。
投入堂の手前はこれまた急斜面のがけです。堂の柱はそれぞれ絶妙のバランスで小さな出っ張りやくぼみに立っており、いったいどのような手順で、どのようにして建てればいいのか考えてみましたがわかりません。
岩場をよじ登って別のアングルから撮影したのがこちらの写真。斜面が強調されて、どれだけ急峻な場所に建っているかがわかるかと思います。
どうしてこんな場所に、こんな堂を作ろうと考えたのか。
きっとこの場所は修験者の修行の場所として、山に入った人々の瞑想や観想の場所だったのでしょう。しかも最も険しい、最も奥深い場所として、修行者の間でも一つの「頂」として尊ばれたに違いありません。
そうして自然のこの窪地はミルチア・エリアーデが「聖と俗」で言ってるような、「聖なる場所」として、ある種の「中心」として外界の俗世と区別されて、信仰の対象になったのでしょう。
これだけの堂を作るには、それだけの強い意思、なんらかの必然が必要です。これを建てた鎌倉時代の人々には、それが非常に重要なことだったのです。
聖なる場所、中心の場所
最近「パワースポット」への観光などがよく話題になりますが、今回の投入堂は場所も、その成り立ちも、パワースポットどころの話ではない「聖なる場所」だったような気がします。
投入堂のすぐ手前にある元結掛堂を通過した際、案内の方がその本尊が悉多太子、つまりはシッダールタ、釈尊の俗名であることに触れて「みなさんは修行の道をここまで歩まれて、もう一度生まれ直したということを意味しているのです」とおっしゃられたのがとても印象に残りました。
苦しい登山の先にしか見ることのできない投入堂は、なるほど行くには大変な場所です。しかし実際に行ってみると、それしきの苦労はなんでもない気がしてきます。
それまで歩んでいた忙しい毎日との落差があまりに大きく、むしろ急に心が晴れやかになった気さえするのです。
こうした態度は、人によっては都会からやって来た観光客がただ一度きり登って修行ごっこをしているだけだと笑うかもしれませんが、私はそれでもいいとおもいます。私には笑われることが必要なのです。
それにはこうして地上から離れて、いつもの忙しい毎日から離れて、つまらない情報から離れて、面倒くさいと思ったり怠惰になってしまいがちな心から離れて、自分自身から離れられる場所がいるのです。
山をおりて、また忙しい毎日に戻れば、また同じ事の繰り返しかもしれません。でも底の底に、こうした山の記憶が流れていることが、どこかで最後の安全弁になっているような気がします。
鳥取を訪問する人はぜひ、三徳山のために一日あてていただけるとよいかと思いますし、また、他の場所に旅するときにも、こうした「離れられる場所」が一箇所旅程にあると良いと思います。
鳥取ブロガーツアー、まだまだ続きます!