無声の小説が描き出す希望。「The Book of Illusions」ポール・オースター [#002]
ポール・オースターといえば、ニューヨーク三部作や、Mr. Vertigoが有名ですし、近年の Brooklyn Follies も Travals in the Scriptoriumも捨て難い佳作ですが、私にとっては、まず最初に挙げるとするならこの The Book of Illusionsです。自分が読んだのは原書なので英語タイトルで紹介していますが、邦訳は柴田元幸氏による「幻影の書」。
飛行機事故の悲劇によって妻と二人の子供を失った主人公は、自暴自棄の数ヶ月ののち、とある無声映画の俳優に惹きつけられます。1920年代に活躍したものの、その後謎の失踪をとげて半世紀が経つその俳優、Hector Mann の映画の中に奇妙な癒やしと安息を見出した主人公は、彼が出演しているすべての映画を渉猟し、本を執筆するまでに至ります。
しかしある日、その俳優の親戚を名乗る謎の女性があらわれて、物語は思わぬ方向へ流れ出します。数々の作品を残して姿を消した俳優はどこに? その沈黙の果てにあるのは?## 無声で描かれる、絶望からの回復の物語
原題の “Illusion” は「幻影」と訳してもよいのですが、同時に手品のことも、幻滅のことも指す言葉です。
家族を失った主人公が世界に対して抱いていた幻滅。幻のように姿を消した無声映画俳優がみせるイリュージョン。そして究極的には、記憶も、歴史も、愛情も、すべて忘却に押し流されて本当のことだったのかあやふやになってゆく私たちの存在の不確かさ。そのすべてがこの題名には込められています。
人はいかにして絶望から立ち上がるのか。希望がまた失われるとしても、どうやって生き続けることができるのか。それをこの小説は無声映画の静かさで語っていきます。
ところでこの小説、セリフが一つもないという、すごい技巧で書かれています。登場人物の会話はもちろんあるのですが、それがすべて引用符で囲まれていません。
わたしには立ち去ってほしいと言ってたのに。
言った。でも気が変わったんだ。
彼女は顔をすこし上げた。その表情には完全な混乱がみてとれた。私に親切になんてしなくていいのよ、と彼女は言った。私はそんなことを求めてはいない。
このように、ときには会話が地の文章と溶け合うようにして流れているのですが、ペースも構成も見事なために誰がしゃべっているのかは一目瞭然です。無声映画についての映画が、セリフの存在しない無声の文体で書かれているのです。
小説の中盤で登場する謎の女性Alma、明かされるHector Mannの秘密、そしてその帰結に至る急転直下は読んでいてスリリングであると同時に、絶望から希望へ、そしてまた絶望へ戻る冥界巡りのようでもあります。
結局は最初から誰もなにも言葉を発してはいなかったように、なにも起こっていなかったかのように、最後にはすべてが沈黙に戻ってしまうのですが、それでもなにか儚げに遺るものがある。
これはそうした、幻のような希望について書かれた小説なのです。そしてその幻の美しさゆえに、私はこの本を愛しているのです。
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