英語メモ:"You ain't no Muslim, bruv!" バイラルになった短い叫びのもつ重み
数々のテロ、緊張を強いるニュースが続く中、ロンドンの北東にある地下鉄Leytonstone駅で一人の男性が通行人を突然刺すという事件が発生しました。
一人に重傷を負わせ、さらに二人を傷つけた男性は10人もの警察官に取り押さえられるときに「これは、シリアのためだ」と叫んだといいます。そのとき、周囲で見ていた通行人のなかに、“You ain’t no Muslim, bruv!” と叫び返した人がいました。
「お前はイスラム教徒なんかじゃないぞ、兄弟!」
この様子が動画に撮影されたことから、この短い叫びはバイラルに拡散されます。テロリストはいくら宗教を縹渺していても実際には教えに従ってなどいない。お前たちが社会を分断しようとも、ムスリムは敵ではないぞ。そんな強いメッセージがこもっているために多くの人の気持ちに共鳴したのです。
もっとも、この犯人がイスラム過激派に共感する人物なのか、背後関係があるのかはまだ捜査中で、この叫びは多少的外れに終わるかもしれません。でも多くの人が共有している気持ちを代弁したという点で、この短い叫びは一つのムーブメントを呼び起こしたのです。
さて、この一文、英語的にはどういう意味なのでしょう?
常に問題視されてきた ain’t。南ロンドンの bruv
前半の “You ain’t no” という言い方は文法的には二重否定になっていますが、そもそも ain’t という言葉が聞き慣れません。
ain’t (エイント)は “am not / has not” を短縮させたものと考える事ができますが、場合によっては do not という意味さえももっており、歴史とともに使われ方は変化してきました。
しかし英語においてこれほど問題視される言葉もありません。それは文法的にというよりも、この言葉を使う人を身分の低い、野卑な人として疎外してきた歴史があるからです。
17世紀から19世紀に至るまで、ain’t にはこうした意味はなく、日常会話の一単語としてスウィフト、バイロン、サッカレー、ジョージ・エリオットなどの書き手の作中にも登場していました。しかしやがて、「模範的な英語」を推し進める歴史的な運動の中でこの単語は特に標的となってしまいます。
そうしたこともあって、ain’t はそもそも英語の一部ではないという俗説も生まれ、辞書には載っているものの「標準的な英語ではなくて教育の程度の低い人々のスラング的な言葉」だとまで書かれている現状があります。この傾向は特にイギリスで強く、逆にアメリカの南部ではそうしたスティグマなしに普通に利用されることが多いといった、さまざまな地方色を持つに至りました。
もう一つの単語、bruv はどうでしょう?
もともとロンドン訛り、いわゆるコックニーでは brother のことを bruvver と書くのですが、bruv は Urban Dictionary によれば 更にその南ロンドンでの訛りに対応しています。
「おいブラザー」と英語では多少乱暴に、でもどこか親しみを感じさせながら他人に声をかける人がいます。最近だと、brother ではなく bro (ブロ)と省略することも多く、黒人青年マイケル・ブラウンの射殺事件に端を発したファーガソンにおけるデモ運動での “Don’t shoot me, bro!” と叫びながら行進する人々の姿を思い出します。
ain’t も、bruv も、一つの社会的階層に根を持つ言葉なのです。
階級と訛り。疎外と包摂
ここまで理解すると、名もない誰かが “You ain’t no Muslim, bruv!” と叫んだ空気感が伝わり始めます。“ain’t no” という言い方は、そもそもが一つの集団、透明なガラスで仕切られた階級社会の底からの声を残響させています。そして bruv という言葉を使う人も、使うシチュエーションも、おのずと限られています。
もちろんこの言葉を発した人がどんなバックグラウンドの人かはわかりません。しかしこの言葉づかいは、ほかならぬイギリスで発せられた場合には、どちらかというと疎外される側にシンパシーをもった人の言葉だといっていいでしょう。
ここに、この言葉のもつ重みと強さがあります。**疎外される側の言葉で「おまえはイスラム教徒なんかじゃないぞ」と呼びかけるその声には、強い意志が感じられます。**あるいはこの人自身、イスラム教徒だったのかもしれません。
疎外されている人々にイスラムを縹渺して暴力で社会を乱すことを呼びかけるテロリストに対して、この声は**「お前と一緒にするな」**と強い否定をぶつけます。お前はイスラム教徒なんかじゃない。お前は疎外された人々の代表でもない。暴力に堕したテロリストだ。一緒にするな。この言葉がバイラルに広がったのには、こうした強い否定への共感があったからだといえます。
でもその一方で、私はこの言葉が最後に bruv と呼びかけていることに、小さな希望を感じずにはいられません。「この◯◯め!」と口汚く断ずることもこともできたときに、この人は「おい兄弟」と、呼びかけます。そう、「世界の関節が外れてしまった」この時代に、それははっとさせる強さで耳を打ちます。
おい兄弟、正気に戻るんだ!