6冊目「アシェンデン」サマセット・モームの波乱万丈のスパイ小説
「月と六ペンス」のサマセット・モームとスリル、サスペンスというと、なかなか繋がりにくいかもしれません。しかし、そもそもモームは彼の時代最高の流行作家で稼ぎ頭で、日本の芥川賞・直木賞的な分断でどちらかに属していると考えるほうが無理のある人物です。
モームは、第一次世界大戦の時は英国情報局秘密情報部の工作員、つまりはスパイとして活動していたという来歴ももっています。「アシェンデン」はこのときの体験をもとに書かれたとてもリアルなスパイ小説です。本物のスパイが書いたスパイ小説!
本書はそれぞれが微妙につながった短編・中編で構成されていて、全体を通してみればアシェンデンというスパイの長編小説として読むこともできます。
抑えた表現のリアルな冷酷さとスリル
第一次世界大戦時、イギリスが敵としていたはドイツ・オスマン帝国・オーストリア=ハンガリー帝国の中央同盟国でした。作中のアシェンデン同様、モームの役割も数々のスパイからの情報を連携して伝達するという、一見地味な仕事でした。
しかしそこはモームの手腕です。伊達者のメキシコ男との敵スパイの追跡、インドの独立運動家の暗殺、二重スパイに接触しての陰謀など、おちついた会話と数々の電報だけで行われる諜報戦のスリルが伝わってきます。
特に「裏切り者」の章では、イギリスの情報をドイツに売っている二重スパイをいかにして騙し、イギリス本国に送還するかという心理戦が優雅な湖畔のホテルで展開して胸を締め付けられるような結末へとなだれ込みます。モーム、面白すぎる。
後半ではスパイ小説の枠組みを外れて、人間模様やアシェンデンの昔の恋など、矛盾にみちた人間の行動が描かれていきます。このあたりもモームらしい人間洞察が光り、深く被った仮面の奥にみえる人間の真実がちらりと見える様はやはり文豪です。
岩波文庫は、噛んでみないとわからないのですがこういう隠し玉がいくつもあるんですよね。冒険小説、スパイ小説、諜報戦といったテーマが好きな人なら文句なしに楽しめるはずですし、モームへのかっこうの入口となることでしょう。
久しぶりに「月と六ペンス」も再読してみることにしよう。