浅草寺の石段で読むイザベラ・バード。すっかり変わっていた舟和の「芋ようぱん」との出会い
仕事のついでに浅草の近くまでいきましたので、多分、20年近くぶりに浅草寺に立ち寄りました。
ちょうど先日、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」の第5信の浅草の描写を読んでいたところでもありましたので、その雰囲気のままに21世紀の浅草を歩いたらどんな気持ちになるだろうかという興味もあったのです。
仕事が二天門側でありましたので、普通とは逆に寺の方から入って仲見世通りのほうに抜けていきます。平日だから多少は空いているかと思いましたが、ちょうど今日は節分。芸能豆まきで大勢の人が寺の横の会場に集まっていましたし、以前来たときには見られなかった中国からの観光客がおおぜい楽しそうに歩いています。
何百人という男女、子供が、絶えない流れとなって山門を出たり入ったりしていた。このように彼らは、一年中毎日、日中はこの山門を出入りしている。大祭のときには何千どころか何万人もの雑踏となる。(「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー版p.56)
大通りから寺の大きな入口まで、歩行者専用の広く石を敷いた参道がある。入口は二回建て二重の屋根の巨大な門があり、美しい赤色で塗ってある。この参道の両側には店が立ち並び、美しく豊富に品物を並べてある。おもちゃ屋、煙草道具屋など。髪を飾るかんざしを売る店が圧倒的に多い。(「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー版p.54)
門の近くには各種の仏具の売店があり、数珠、小箱に入った真鍮製や木造の偶像で袖や懐に入れるもの、お守り袋、日本の家庭の神で最も人気のある富貴の神大黒がニコニコしている像、仏壇、位牌、安物の奉納物、祈祷用の鈴、燭台、香炉、その他に仏教信心の公私に渡る数限りない数々の品物を売っている。(「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー版p.54)
仏具などをうっている店はさすがに少なくなっていても、せんべいや団子、焼き菓子に雑貨、お守りに芸能人のキーホルダーなどが売られている様子は、何もかもが変わったようでいて、バードの記述とさほど変わっていないようにもみえます。祈祷用の鈴が、いまでは合格祈願なのですね。
舟和の「芋ようぱん」を食べてみる
寺を回る前にいちど仲見世通りを歩いていて驚いたのが、芋ようかんでお馴染みの「舟和」に喫茶やソフトクリームを売っている新しい店舗が生まれていることでした。聞けば去年新装開店したのだということ。売っているものも芋を使ってはいるものの洋菓子、焼き菓子、パンなどと時代が変わっています。
なかでもこの「芋ようぱん」に目が吸い寄せられましたので一個所望しました。これはなんですかと聞いてみると、あんぱんなのですが中は芋餡になっているんですよ、と。一個250円。
なるほど、上にも芋餡が顔をのぞかせています。
がぶりとひとくち食べると、なるほどお馴染みの芋ようかんの味ですが、もっと軽くて食べやすい風味の餡がなかに詰まっています。芋ようかんがちょっと重くて一欠片でお腹がいっぱいになりましたので、これくらいのほうが食べやすいですね。
変わっているようで、変わっていないもの
うえで、中国からの観光客がとても多いと書きましたが、今回私はかれらの実に楽しそうな様子に心強いものを感じたのでした。
ガイドに導かれながら、あるいは家族だけで浅草寺の敷石を歩いている旅人たちはそれぞれに満足そうで、微笑みながら写真をとり、香炉の煙に手を伸ばし、迷惑ではないかしらとおずおずとしながら道行く着物姿の女性に写真に一緒にうつってくれないかと頼んでいました。
バードが日本に降り立った1878年も、ここはこうして参拝する大勢の人々、見物する外国人らでごった返していました。
外側の御堂では、騒音やら混雑で、人の波が絶えず動き、目の回るほどである。人の群れが、下駄の音を鳴らしながら出たり入ったりする。入り口に住んでいる何百という鳩は、頭上を飛来し、そのバタバタという羽根の音が、鈴の音や太鼓、銅鑼の音とまじり、僧侶の読経の高声や、低くつぶやきながら祈る人々の声、娘たちの笑いさざめく声、男たちのかん高い話し声がまじりあって、あたり一面が騒音にうずまいている。初めて見るものには、まことに異様な光景が多い。(「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー版p.57)
さすがに、いまの浅草がここまでうるさいということはありませんが、アジアらしい混沌と秩序の調和がいまも生きていることは感じられます。
この最も神聖なる場所には、神々を安置した宮や、巨大な燭台、壮大な銀製の蓮、供物、洋灯、漆器、連禱書、木魚、太鼓、鈴、その他卍など神秘的な宗教記号に満ちている。この宗教は、教育のある者や、この道に入った者にとっては、道徳と哲学の体系をなすものだが、一般大衆にとっては偶像崇拝である。(「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー版p.58)
19世紀のイギリス人の言葉だからといって、バードの言葉は的を外しているということはありません。むしろ、日本が今のような日本になるまえ、開国したばかりの頃を歩んでいるだけ、彼女は我々よりもかつて日本を構成していた要素に近い場所にいるのです。
そうした前提に立って彼女の言葉を読み返すと、なんと多くのものが変わってしまったかと思いつつも、それほど、変わってもいないのかもしれないとも感じられるのでした。
石段に座って本を読んでいると、すっかりと腰が冷たくなってしまっていて、私はこわばった身体を伸ばすように立ち上がりました。そして19世紀に書かれた本をポケットにねじ込むと、天を突き刺すスカイツリーを目印に方角を定めて、地下鉄駅を探して歩き出しました。