No Man's Sky、無限の星を旅するゲームの海外リリースが6月21日に
ゲームの中に、箱庭ではないもう一つの世界を作る。そうしたことがしだいに現実となりはじめています。
前評判の非常に大きなゲーム、No Man’s Sky はゲーム内に理論的には1844京6744兆737億955万1616個の惑星が存在し、そのほとんどがきっと探索されることのない果てしのない世界を構築しています。
プレイヤーは探索者となって星から星へと調査を行い、星間戦争に参加しても、目立たない商人として行動しても、惑星を調査するだけの役割でも、自由に選ぶことができます。
しばらくまえも別のゲーム、Firewatch を紹介しましたが、そちらがダイアローグによる世界観を作り上げているのに対して、こちらは世界そのものを探索されるつど、その地形、生物、気候に至るまでが細かく生成してゆく、本当の意味での別世界となっています。
どういうわけか、私はこのコンセプトにひどく惹かれます。
No Man’s Sky のなかに安息を求める
2014年の開発発表からNo Man’s Sky について多くの記事を特集している Verge で(その1、その2、その3)、いぜん「この世界に安息感を見出した」という記事がありました。
このゲームの目的はかなり曖昧で、なにもかもが可能にみえますが、ある種の制限やルールによって、プレイヤーが探索を追求したくなるように設計されています。
“All of the challenges in the game, all the mechanics, are trying to feed that feeling of giving your discoveries more meaning,” Murray tells me. “What can we do to give the player a sense of purpose, and actually in some ways slow them down a little bit, and make them have to make sensible decisions. Like land on a planet, and immediately take off again because it’s too hazardous for them right now — and then they’re left with that gnawing feeling of ‘What was there?’”
「このゲームにおける挑戦や、力学は、ゲーム内の世界の探索に対してもっと意味を感じられるように努力してつくったものだ」と Hello Games 創業者のショーン・ムレ―はいいます。「プレイヤーにやりがいを与えるために、私たちはあえて彼らの行動を阻むこともする。たとえば惑星に降り立ったときに、いまの装備では危険過ぎるのですぐに飛び去らざるをえない時に、プレイヤーが『あそこにはなにがあったのだろう?』と後ろ髪をひかれるようにしてあるのだ」
記事の書き手は、この自由度と要求とが、心地よい安息感を与えると書いています。ある目的をもって惑星を探索すると、その目的によってゲームの世界観は変わります。そこは戦場にも、鉱山にも、調査をすべきフィールドにも、目的次第で変貌するのです。
現実は、ここまで意味にあふれていない
このゲームの動画をみていると、そうした点にもっとも惹かれている自分に気づきます。通常、ゲームというのはある種の目的があり、その目的を満たすための情報や地形がレディーメイドに出来上がっています。
しかし No Man’s Sky の世界では、自分でその意味を見出さなくてはいけません。そしてどの惑星にたどり着いても豊かな自然や生物などがプレイヤーを迎え、みるべきものにあふれています。
本来ならば、私たちの生きる現実こそが、こうして私たちと密接に関連した意味の空間であったはずなのですが、どこかで、私たちはなんだかその有意味感を見失っています。現実が無理ゲーと化した結果、ゲームのなかの豊かな意味の空間が、ここにいていいんだよとささやくのです。
いずれ No Man’s Sky のような世界観は VR にも応用され始めるでしょう。そうしたとき、このもう一つの現実に魅力を感じて、そこにずっといたくなるようになる鍵は、画像の美しさでも、その世界でどんな役割を演じられるかという事故承認欲求でもなく、「ここにいてもいいんだよ」という目的感なのかもしれません。
それがいいのか悪いのかはわかりませんが、世界体験が変わるという意味で、こうしたゲームの出現は興味をそそられるのです。
No Man’s Sky は海外で 6月21日にリリースされます。日本でもぜひプレイしたいものですね。